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高畑勲氏が肺がんで死去。鈴木敏夫氏は「宮崎駿とも相談しジブリとして盛大なお別れの会を行なう」とコメント~日テレの金ローでは「火垂るの墓」を追悼放送

[2018/4/6 20:15]

 アニメーション映画監督の高畑勲氏が、2018年4月5日(木)午前1時19分に死去したことがスタジオジブリの公式サイトで発表されました。享年82歳。

 同社によれば、死因は肺がんで、帝京大学医学部附属病院で亡くなったとのこと。通夜及び葬儀については、近親者のみにて執り行ない、香典・供花・弔電等のご厚志及び弔問については、固く辞退するとしています。なお、故人との「お別れの会」を5月15日に執り行なう予定で、会の詳細については、決まり次第、改めて連絡するとのこと。

 スタジオジブリの鈴木敏夫氏は「やりたい事がいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います。宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました」としています。

 また、日本テレビ系列の「金曜ロードSHOW!」の公式サイトでは、高畑勲監督への心より哀悼の意を表すとともに、高畑勲監督作品の「火垂るの墓」を4月13日(金)21時より追悼放送することを発表しています。


高畑勲(たかはたいさお)氏プロフィール

1935年10月29日、三重県伊勢市に生まれ、岡山で育つ。

1959年に東京大学仏文科卒業後、東映動画へ入社。TVシリーズ「狼少年ケン」で初演出。劇場用映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968)で初監督。同社を退社後、「アルプスの少女ハイジ」(1974)、「母をたずねて三千里」(1976)、「赤毛のアン」(1979)(以上、TV)、「じゃりン子チエ」(1981)、「セロ弾きのゴーシュ」(1982)等を演出・監督。1985年、スタジオジブリの設立に参加。以後「火垂るの墓」(1988)、「おもひでぽろぽろ」(1991)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999)を発表。

2013年には「かぐや姫の物語」が公開され、毎日映画コンクールアニメーション映画賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞(アニメーション映画部門)等を受賞し、米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門賞にノミネートされた。

「風の谷のナウシカ」(1984)、「天空の城ラピュタ」(1986)ではプロデューサーを、2016年公開の「レッドタートル ある島の物語」ではアーティスティック・プロデューサーを務めた。

著作に『映画を作りながら考えたこと』『十二世紀のアニメーション』(以上徳間書店刊)、『ジャック・プレヴェール ことばたち』(ぴあ刊、訳および解説と注解)、『ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶』(ぴあ刊、編・訳)、『一枚の絵から/日本編』『一枚の絵から/海外編』『アニメーション、折りにふれて』(いずれも岩波書店刊)などがある。

1998年、紫綬褒章を受章。
2009年にはロカルノ国際映画祭で名誉豹賞を受賞。
2010年にはアニメアワード功労賞、2012年には米・ロードアイランドスクールオブデザイン(RISD)名誉博士号、2014年には東京アニメアワードフェスティバル2014特別賞・アニメドール、アヌシー国際アニメーション映画祭名誉功労賞(Cristal d'honneur)を受賞。
2015年4月、フランス芸術文化勲章オフィシエを受章。2016年2月にはウィンザー・マッケイ賞を受賞。

[古川 敦]